オリンピック特集  石橋顕の挑戦

写真■ 北京オリンピック49er級の 石橋顕(右)・牧野幸雄組
写真■ 北京オリンピック49er級の 石橋顕(右)・牧野幸雄組

2008年の北京オリンピック(青島)に49er級日本代表として出場、私たちに「夢を諦めない、自分を信じることの大切さ」を伝えてくれた修猷健児・石橋顕さん(H4卒)。当時のブログ「石橋顕 一番高い所へ」は読まれたと思いますが、今回は記事の一部「オリンピック終了!」を再録します。

オリンピック期間中は IOC(国際オリンピック委員会)による広告規制で写真や情報を勝手に流すことが禁止され、ホームページやブログの更新が出来ないだけに、大会終了直後の記事は貴重な記録です。(の)

<参考URL> ◆石橋顕 一番高い所へ 
◆Team Believe 49er 
http://49er-diary.blog.so-net.ne.jp/
http://believe49er.net/

オリンピック終了!

8月8日に開幕した第29回オリンピック競技大会(2008/北京)は無事24日に閉幕しました。
私達は開会式には参加しませんでしたが、レース終了後 青島から北京へ移動し閉会式に参加しました。
その後日本選手団と共に帰国し、解団式を終え福岡へ戻ってきました。

 

第29回オリンピック競技大会(2008/北京) 結果
セーリング競技 49er級  石橋 顕・牧野 幸雄 組   12位

 

当初の目標であった金メダルには届きませんでしたが、全日程、全レース、全力で戦いました。
青島は予想通りの軽風が続き、メダルレースを除いて全レース10ノット以下のコンディションで行われました。

 

8月10日
初日第一レース、出艇前からスタート前まで各国の緊張感がひしひしと伝わってきます。
これがオリンピックなんだなと感じながら、いい緊張感の中第一レースをスタートしました。
第一マークは10位でしたが、順位を上げて8位フィニッシュ。
まずまずの出だしで、その日トータル9位。

トップは昨年ワールド優勝のイギリス、そしてイタリア、デンマークと続きます。
僕達日本はアテネ金のスペインと同点、今年ワールド優勝のオーストラリアとも同点、3艇が7位で同点でしたが彼らはトップを取っていましたので僕達は9位でした。
一方アテネ銀のウクライナ、メダル候補のアメリカ、ドイツなどは初日を崩し10番以降で初日を終えました。

 

8月11日
2日目、13、8、12位と中盤くらいを我慢の走りで何とかトータル11位にとどまります。 
この日オーストラリアが3,1,1を取り、一気に首位に立ちます。ドイツも6,3,2で一気に5位へ浮上。
一方初日トップだったイギリスは、14,14,15と大きく叩き9位まで落ちます。
その他ノルウェーがウクライナ抗議を出し、ウクライナが失格となりました。
レース中ちょうどこのケースを目撃したパートナーのマッキーが証言となり、ウクライナ失格へ大きく貢献しました。
この日の他のレースでウクライナはリコールによる失格があり、2つ目の失格となりました。
前回のメダリストと言えどもさすがに1レースしかカット(捨てレースの事、全レースの中で一番悪いレースのみカウントしなくてよい、メダルレースはカットできない)出来ない中、失格が二つあるとメダル争いには残れないと判断しての事でした。
案の定、この日が大きく精神的にも響いたのか、その後もメダリストらしい走りはできずに終わりました。

 

8月12日
この日は予備日で2日間レースが予定通り消化された為、オフでした。
充電日だとし、ゆっくりしながら体と心を休めました。

 

8月13日
3日目、この日はアメリカデイでした。
3レース全てをトップフィニッシュし、15番前後の位置から一気に5位まで浮上したのです。
2日目の時点でメダル争いから落ちたと思いきや、一気にメダル争いに絡んできました。
私達は8,9位と2レースは無難にまとめましたが、最後のレースを17位と叩いてしまいトータル12位となります。
この時点でもまだ上位まで混戦状態が続いており、まだまだメダルの可能性はありました。

2日目、3日目のように一日で大きく順位の変動があるのはチャンスがあるという事を意味しています。
3レース全ての順位を上位でまとめるのは簡単な事ではないからこそ、それができたチームのみ大きく順位を上げる事ができます。
特に49erは他のクラスと違ってコースが短く1レース30分、そしてスピードが速い事から一つのミスで大きく順位を落とします。
レース時間が短いからこそミスを挽回する時間があまりない為、3つまとめる事の重要度が増します。

 

8月14日
4日目、この日は石橋・牧野組後援会の応援団30数名が青島へ駆けつけた日でした。
しかし朝から濃い霧と凪の為、レースは延期となり全クラス陸上待機となりました。
結局昼前から午後4時頃まで待機しましたが、状況変わらずその日はノーレースとなりました。
実は応援団のツアーはこの日しか観戦できず、翌日午前中の便で福岡へ戻るという事だったので、レースを観ずに帰国する事となりました。
天候はどうしようもない事だと分かっていますが、少しでも自分達のセーリングを見てほしいという気持ちがあったのでノーレースと決まった後に海へ出ました。
少しの時間でしたが、応援団がいる防波堤の目の前でデモンストレーションセーリングを行い、皆さんのお陰で勝ち取った日の丸と五輪マークが入ったスピン、大きな日の丸と大きなJPNの文字、そして自分達の名前が入ったメインセールを掲げて走っている姿を見せる事が出来ました。
皆さん、青島での応援ありがとうございました。

 

8月15日
5日目、この日はウィンドサーフィンのレース後、49erのレースという予定でした。
朝はいい風が入っていましたが、各クラスが各海面に着きスタートしようとする頃には、風が大きく変化し風速も落ちレース続行が不可能、殆どのクラスが陸上に戻ってきました。
数時間の陸上待機の後、午後4時前くらいに海へ出ろとの指示が出ます。
日の入りの時間から考えてもこの時間から出来るレースは1レースのみ。
結局ウィンドサーフィンの後に予定されていた49erのレースはこの日は無理と判断され、結局この日は一度も海に出る事無く待機で終わりました。

本来なら、この日がメダルレース(上位10艇のみが参加できる最終レース、ポイントは倍)までの最終日でしたが、レース消化できていない事から翌日の予備日を使用し、3レース行う予定になりました。

 

8月16日
6日目、この日の3レースでメダルレース進出が決まります。
つまり上位10艇以外は最終日となります。
この時点で12位、10位ポルトガルとは14点差、11位フランスとは6点差。
3レースあれば十分にメダルレースは可能、上位入賞も十分可能性はありました。

この日はスタートから攻めるレースをするという戦略もありましたが、いつもどおり無理のないスタートで出る事で十分戦えると判断し特別な事はしませんでした。
実際空いた所からいいスタートし、手堅くいいコースで最初のマークを2位、トップのドイツと共に2艇で後続艇を大きく引き離しました。
2回目の上マークに到達する頃にはトップに立ちます。
その頃風が大きく振れ始め、最後のフィニッシュマークまではマーク変更となりました。
コンパス指示のある方向へ艇を向けますが、一向にフィニッシュラインが見えません。
それらしき運営艇があった為とりあえずそちらへ向かいます。
結局それはただの運営艇、フィニッシュラインはレグの半分を行ってから私達が向かう方とは違う所に打たれました。
風が極端に落ちたこともあり、フィニッシュは6位となります。

この日の2レース目、スタート少しの出遅れと全体の流れに乗り切れず14位となります。

この時点でもまだメダルレースへの可能性は十分にありましたが、とにかく順位よりも自分達の力を発揮できる様に心掛けました。
スタートから上手く飛び出し最初のマークは3位、11位のポルトガルは2位、10位フランスは9位で廻ります。
次の上マークに到達する手前で私達がトップに立ちます。
一方ポルトガル、フランスはみるみる順位を落としていきました。
その後すぐ後ろにいたスペイン、イタリア、アメリカなどにかわされ、結局フィニッシュは5位。

この時点で10位フランス99点、11位ポルトガル100点、12位日本103点となり、4点足らずメダルレース進出ならずとなりました。

しかし陸上に戻ってすぐにその日の第一レースの件で抗議(救済の要求)を出して、その直前までの順位をもらえるようにした方がいいとのコーチのアドバイスにより、最後の望みをかけて抗議を出しました。
一方オーストラリア、ポルトガルなども同じ様な抗議をレース委員会へ出していました。
この要求が通れば、6位だったフィニッシュ順位が直前のマークの順位の1位となり、5ポイントマイナスされます。
従って98点となり、メダルレースへ行けます。
その審問は長く、約2時間近くかかりました。上記の国以外にも、証言艇としてイタリア、ウクライナ、アメリカなども呼ばれ審議されました。
結局、レースは手違いなく運営されたとの判断が下り、どの抗議も却下となりました。
この時点で石橋・牧野組のオリンピックは終了しました。

 

 

目標には届きませんでしたが、全力を尽くして最後まで諦めずに戦った事、お互いの力を最後まで信じ戦った事に間違いはありません。
この最高の舞台に辿り着くまでも、そして辿り着いてからもたくさんの方々に支えられてきました。
これほど多くの方々から応援だけでなく、支援されて活動してきたチームはいるのでしょうか。
私達選手は選手として世界一に届きませんでしたが、私達を囲む後援会、サポーター、支援者、Tシャツ購入者など全員を含めた Team Believe 49er は世界一だと胸を張って言えます。

この10年間に渡るオリンピックキャンペーンの中で携ってきた全ての方々、
そしてパートナーのマッキーに心から感謝致します。
ありがとうございました。

 

そして最後に
妻と娘へ、
長い間ありがとう。

 

石橋 顕

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